安藤百福には妻が3人いた!?台湾人と結婚?宏基は次男なの?家系図も調査!
現在、絶賛放送中の朝ドラ『まんぷく』。
日清食品の創業者である安藤百福さんと、その妻の安藤仁子さんの半生をモデルにしたドラマですね!
3月から大人になった源や幸も登場し、新たな章がスタート。
『まんぷく』では源は長男として描かれていますが、モデルとなった安藤宏基さんは次男であることが判明(゜o゜;
実は安藤百福さんと安藤仁子さんの家族関係がちょっと複雑なんですよね・・・。
今回は安藤百福さん夫婦の子供たちの、現在や家系図についてを調査しました!
安藤百福は台湾人だった?
日清食品の創業者である安藤百福さん。
インスタントラーメンやカップラーメンを開発した、とてもスゴイ実業家ですよね!
そんな安藤百福さん、実は日本統治時代の台湾出身(゚д゚)!
安藤百福さんの旧姓は『呉百福』。
1910年3月5日、台南県東石郡樸仔脚で、父・”呉獅玉”と母・”呉千緑”の間に長男として生まれました!
安藤百福さんが生まれた1910年は台湾は日本が統治していた時代なので、生まれたときの国籍は『日本』でした(@_@)
安藤百福さんは第二次世界大戦後に中華民国籍となり、1966年に日本国籍を再取得されています。
日本国籍で生まれ、一度は中華民国籍となったものの再び日本国籍を取得・・・かなり複雑ですね(゜o゜;
安藤百福には3人の妻がいて、台湾人と結婚していた!?
実は安藤百福さんには、安藤仁子さんの他に台湾に2人の妻がいることがわかっています!
どういうことなのかというと・・・
安藤百福さんは台湾にいた頃に、台湾人である『呉黃綉梅』さんと結婚。
台湾では当時、『夫妾婚姻』という”妾(めかけ)制度”の慣習が残っていたため、妻とは別に”妾”との結婚が認められていました。
そのため安藤百福さんは、”妾”である『呉金鶯』さんとも結婚。
こうして、”第1夫人”と”第2夫人”という構図ができたのですね!
それにしても、妾制度が認められていたなんてビックリです(゜o゜;
台湾でメリヤスの輸入業で大成功した安藤百福さんは、1933年に大阪へ移り住み日本で会社を設立。
このとき第2夫人である『呉金鶯』さんを連れてきていました。
第1夫人を台湾に残して第2夫人の方を連れてくるとは・・・なかなかスゴイですね(^.^;笑
しかし呉金鶯さんは日本での生活に馴染むことが出来ず、安藤百福さんと離婚して台湾へ帰国しています。
その後に出会ったのが、安藤仁子さんでした!
財界人の社交場であった”大阪倶楽部”で受付をしていた安藤仁子さんに、安藤百福さんが一目惚れ♡
安藤仁子さんは一度はプロポーズを断ったものの、安藤百福さんの猛アタックに負けて戦時中に晴れて結婚!
第2夫人とは離婚していたものの、第1夫人との婚姻関係は続いていたので、このまま安藤仁子さんと結婚すると”重婚”になる可能性がありました。
日本では”妾制度”は認められてませんからね(>_<)
しかし、台湾と日本の戸籍は別だったため、安藤仁子さんを正妻、第1夫人である呉黃綉梅さんを”妾”にすることで安藤百福さんは問題を回避したそうです!
安藤仁子さんへの強い愛が感じられますね^^
安藤宏基は次男だった?安藤百福と安藤仁子の家系図を調査!
台湾で生まれ、3人の妻がいたことがわかった安藤百福さん。
かなり複雑な家族関係なので、家系図にまとめてみました!
※クリックで拡大します。
安藤百福さんには第1夫人との間に2人、第2夫人との間に3人、そして安藤仁子さんとの間に2人、合計で7人の子供がいます。
安藤百福さんは安藤仁子さんと結婚する際、第1夫人との間に生まれた安藤宏寿さん引き取り、安藤夫婦の長男として育てられました。
そのため、安藤仁子さんの実子である安藤宏基さんは次男となるわけですね!
安藤宏寿さんを引き取ったときにはすでに中学生だったそうなので、次男の宏基さん、長女の明美さんとはかなり年の離れた兄弟ですね(@_@)
安藤仁子さんは別け隔てなく、愛情を持って子供たちを育てたそうですよ☆
まとめ
安藤百福さんの妻や子供、家系図についてご紹介しました!
台湾では最近まで、”妾制度”という慣習が残っていたのですね~(@_@)
妾制度があったことで、安藤百福さんには3人の妻がいたことがわかりました!
実話とドラマの話では少し違う部分もありますが、今後どんな展開があるのか楽しみですね☆